おいたんブログ

毎日1記事を継続して習慣にし自分の成長を感じるブログ

おじいさんの火葬

今日は祖父の火葬だった。1か月前に死について考えたいと思いインドに火葬を見に行った。ガンジス川のほとりでの火葬は死体に布を巻き薪で火をつけるという本当にシンプルなものだった。火葬をしている横では、子供からお年寄り牛やヤギや犬などの動物がいつもと変わらずに生活をしていて火葬は日常と一体化していた。インド人は自分も死んだらそこで焼かれるという認識が当たり前の様にある、わざわざ遠くの街からガンジス川で火葬されたいと訪れる人も多い、彼らに死に対する恐怖はない。宗教的な考えもあるとは思うが、火葬が日常的に行われているという事も理由の一つだろう。今日、自分が日本で見た火葬はそれとは全く逆でとても不自然なものだった。当たり前だが火葬されている風景を見る事は出来ない、本来死というものは自然な事だが今の日本では不自然なものになっている、隠されている。自分だけは死なないものだと勘違いして、死ぬ直前になってようやく自分も死ぬという事に気付き後悔を残して死んでいく人が後をたたない。インド人は自分はいつか死ぬという事を火葬を日常的に見る事によって感じている、だから日々を大事に生きている。日本人はどうだろうか?自分だけは死なないと思ってはいないだろうか?もしそう思っているならば今日という日を大事にしていないかもしれない、自分も悔いのない日々を送れるよう努力をしたいと思った。